2018年9月7日金曜日

ケアする側の感情労働その3

その1では感情労働について
https://ichiokamegumi.blogspot.com/2018/09/blog-post.html
その2ではその対処法としての身体性について書いてきました。
https://ichiokamegumi.blogspot.com/2018/09/2.html

身体を通して様々な感覚 -それは心地良いものだったり、不快なものだったり、どちらでもないようなものだったり- に気づいていくこと。ここで、ポイントなのは心地よいからといって追い求めず、不快だからといって嫌がらない、どちらでもないからといって無関心でいないという事です。

心地良いことも、不快な事も、どちらでもないものも全て同じ扱いです。この辺りが他の心理療法などとはちょっと違うのかもしれません。不快だからと言って押し込めたり、逃げたり、無理矢理前向きにとらえようとしたりはしないのです。

立ち止まって、慌てず丁寧にちゃんと向き合って。そして仲良くする

そんな姿勢です。

最後のその3では身体性とともにもう一つの鍵になるCompassionについて書いてみたいと思います。Compassionとは一般的に思いやりや慈悲などと訳されますが、実際は日本語でピッタリくるものはありません。とりあえず、このブログでは分かりやすく「思いやり」という言葉を使っていきます。

「思いやり」とか言うと道徳か!とかいわれそうですが、まぁ聞いて(読んで)ください(笑)

この「思いやり」を育むことは、対人援助などに関わる人の心の回復力を高めるだけでなく、その仕事そのものがより意味のある事、そして自分自身の変容を促すことが大きな目的の一つになります。

対人援助の場面でよく言われる「共感」。ともすると共感疲労に陥ってしまったりしますが、やはりケア等の場面において強力な手段の一つであることには間違いはありません。

共感について述べられるときは、例えば他者の痛みや苦しみに思いを寄せる能力、もしくは、他者が経験している苦しみや痛みを、自分自身の経験として受け取ることのできる能力と言われます。

では共感と似ているような「思いやり」はどうなんでしょうか?

「思いやり」を定義するとしたら、感じたことを行動に変容させていく能力であり、共感を包含したものと捉えていただければよいのではないかと思います。他者に共鳴しながら(これは共感ですが、これだけで「思いやり」にはなりません)、自分の意図をしっかり持ち、そして何が役立つが考え、行動する力のことです。

ところが「思いやり」を持とう!もしくは「思いやり」を高めよう!としても残念ながらそれは上手くいきません。

なぜなら「思いやり」というのは複数の因子から形成されているものだからです。身体性、洞察力、メタ認知力、共感力、内受容力…などなど様々な因子によって成り立っているのです。つまり「思いやり」そのものを取り扱うことはできないのです。しかし、それらの因子を分解して練習することで、結果的に「思いやり」を生みだし育むことは可能なのです。

さて、そこで、やはり重要な柱になるのが身体性。
呼吸に伴う動きや感覚を観察する時、私たちは洞察力を働かせ、呼吸だけではなくその周辺にまで意識を広げることでメタ認知力を鍛えています。
同時に、体温の変化や鼓動、脈などを感じる力を内受容力といいますが、これらが働いている時と共感で働いてるときの脳の活動域は同じだと言われています。つまり、身体内の感覚に意識を向けることで共感力も養っているのです。

もちろん、他にも練習する必要はありますが、やはり身体性が土台という事です。身体を使うわけですから、当然身体の調子は良くなってきます。同時に心に働きかけているので、相乗効果を生みだす善循環が始まるのです。

Compassionについてはジョアン・ハリファックス老師という方のTEDでのプレゼンがとても参考になりおススメです。 → 慈悲、そして共感の真の意義

その1~その3まで長くなりましたがお付き合いいただきまして、ありがとうございました。もし、共感疲労などでしんどさを感じた時、あなたの身近にある呼吸や身体が大きな力となってくれます。

ほんの少しの時間でもいいので、自分の身体に意識を向けてみてください。





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