2018年6月21日木曜日

縁のコミュニケーション。

「ホリスティック」という言葉は人によって全く違っていて、本当に幅広い意味合いを持ちます。代替療法の技術の事を言っている人もいるし、もう少し踏み込んで魂や霊性の事や全体性と言っている人もいます。ナチュラルという言葉と同様にホリスティックを使っている人もいます。

だからホリスティックって掴みにくくて、怪しい(笑)
けど、だからこそ、柔軟に可能性は広がります。

私はというと「つながり」という感じで今は捉えています。人間関係としての繋がり、動物や植物、本やテレビからの情報、食べ物、時間軸(過去、現在、未来)も含めて。時間軸が入るとちょっと複雑に感じるかもですが…。
要は、関係している全てとの「つながり」です。
私たちが見えている世界はそのつながりの一部分です。どこを、どの角度で、どんなふうに切り取ったか。それによって見えてくる世界は違ってきます。

仏教には因縁という言葉がありますが、ザックリいうと因は直接的な原因、縁が条件や間接的な原因です。「つながり」は間接的な原因や条件で、仏教でいう所の「縁」ともいえます。

セラピストとして、私自身は「縁」に働きかける技術が大切だと思っていて、特に言葉を使うコミュニケーションでは、その辺を注意深く気をつけています。

例えば、ホリスティックな意識で代替医療をやっている方でも、
「こういうことをしてみて」と直接的に言ってるのは「因」になります。

療法やヒーリング何でもいいんですが、当然、これが良いと教えてもらうし、それに即した原因を教えてもらいます。また、対処療法ではなく根治療法を頑なに目指しがちです。なのでついつい直接的に「この状態の根本的な部分は〇〇で、それを改善するためには××を治す必要があります」と良かれと思って助言的な提案をしてしまうのです。

個人的にはこうした提案や助言はちょっと稚拙だな…なんて思います。実際、大概の場合は聞き流されたり、反発されたり。時には深く傷つけたりしてしまいます。人には自由意志があるので、少しでも押しつけられ感があると抵抗しちゃいますしね。それに、そもそもその発想や視点、助言や提案自体が本当に正しいのか!?という問題もあります。

では、なぜホリスティックを意識しているにも関わらず、そんな風な言葉を発してしまうのでしょうか?

私たちは自分が想像している以上に原因志向に染まっていることが大きな要因の一つです。「眠れない? じゃあこのアロマを使ってみて。」「毎日が不安? それなら呼吸法を試してみて」「人間関係で悩んでるの? それはお母さんとの関係性が原因だね」なんて。すぐに「因」を探し出そうとしてしまいます。それは同時に、自分がその人を癒す人=「因」になろうとしてしまっているということです。(無意識レベルで)

機械的な事であれば「因」を探しだしアプローチすると非常に効果的かもしれません。でも人の心が絡むようなことの場合、現実はちょっと違ったりします。その抱えている問題を大げさに捉えて考えるのではなく、小さく細分化してあげる方が効果的だったりします。正面ではなく側面から、ほんの少し波紋を起こすような感じで。関係の無いようなその波紋が次の波紋へと広がっていく感じです。

なぜそれが効果的かと言えば、その人の中には「心の治癒力」が絶えず働いているからです。

心の治癒力が空っぽの様に見えるけど、心の治癒力が本当に枯渇している人はいません。表面的には心の治癒力が働いてないように見えていても、その小さな波紋がきっかけで、心の治癒力が活性化し引き出されると、調和のとれたところに立ち戻っていきます。

だから自分が「因」になる必要もないし、それは両者にとって非常に大きな負担となる事が間々あります。必要なのは、その人の心の治癒力を信じて、ほんの小さな「縁=つながり」を結ぶことなんだと思います。

こんな風に、さりげなく関わりながら、寄り添うことが、セラピーや医療、対人支援の時に意味がある思っているし、様々なスキルだけでなく、言葉を上手に使うことで、縁に働きかけるように関わることは可能です。

縁のコミュニケーション。これからも磨いていきたい技術の一つです。


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