2018年6月12日火曜日

感情は自分じゃない。

感情は自分じゃないのよ~。

昔、ヨーガを始めたばかりの頃、先生に言われて???となった言葉の一つです。

なぜなら、現代に生きる私たちは「自分の心、もしくは感情の動き」=「自分自身」と当たり前のように思っています。感情が豊かな人の方が人間らしいと感じていたりします。ネットやテレビ、本などでも感情を大切にするような文言をよく見かけます。当然の如く私もそう思っていました。

でもヨーガでは心や感情は自分じゃないと言います。←現代人には革命的な視点です(笑)

ヨーガでは
「心は瞬間、瞬間ごとに変化を続ける運動」
と言います。

でも、これって思い当たりませんか?幸せの絶頂にいた人が、次の瞬間、怒りに満ち溢れていたり、前向きになったと思ったら、急に不安や心配に捉われてしまったり。
私自身はヨーガをやっていく中や、色々な人と関わる中で、この考え方は心の実態に近いよね、なんて今は思います。

たとえば、瞑想をしていると、ほんの数分ですら明日の事、気になっていること、ランチのこと、仕事の事、家族や友人、恋人の事…目まぐるしく心が動いていることに気づきます。時々、そんな自分に戸惑っている方もいらっしゃいます。瞑想をすると雑念が沸いてくるから、瞑想は向かないという声もよく耳にします。

でも実は瞑想をしていなくても、常に心は揺れ動いているのです。今この瞬間も。

でも、私たちは自分たちの心の動きや揺れを認識することができません。一つの要因として、自分以外のアレコレに意識が捉われているという事もあるのですが、もっともっと、根本的な理由があります。

それは、

私たちが「自分の心や感情」を自分だと強く思い込んでいる

ということです。

瞑想やヨ―ガを行っている時、自分の心がアチコチに動いていることに気づきます。雑念でイッパイだったなぁと気づくわけです。それは心が雑念でイッパイだったと感じた「わたし」はほんの少しかもしれませんが、心と自分の間の距離に気づいたからです。

しかし、その距離に気づかずにいると、いとも簡単に怒りや、悲しみ、不安…といった強い感情に支配されてしまいます。そうなると私たちは
・怒っている自分
・悲しんでいる自分
・不安な自分
という具合に感情と自分をより強く結びつけてしまい、平静な自分、穏やかな自分というものを描けなくなってしまいます。

ヨーガでは心や感情と私自身を雲と空の関係で例えることがあります。台風のような雲、うろこ雲、色々な雲が空には浮かんでいます。これが私たちの心や感情です。でもその雲がどれほど荒れていたとしても、その上には必ず穏やかな空=穏やかな「わたし自身」がいるのです。

私自身は変化し続ける心や感情とは全く別の層にあるという事です。

ヨーガや仏教の精緻に理論化された心の知見、及び行としての実践方法が西洋心理学とは全く異なるアプローチをおこない、心との上手な付き合い方が提示できるのは、こうした心の智慧があるからです。

遥か昔のヨーガや仏教の中にこうした知見が見られるという事は、昔の人も同じように苦しんでいたという事です。しかし、感情と切り離した自分を想像することが難しくなってきている現代に生きる私たちには、より必要な視点なのかもしれません。


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