2018年7月9日月曜日

開催報告♪ ヨーガと憲法とわたし

遅くなりましたが、6/30(土)に「YOGAと憲法とわたし」が無事終わりました~。


蒸し暑い中、マニアックな(?)会にご参加いただきました皆さま、本当にありがとうございました。また、お忙しい中2種類のスイーツを持ってきてくださった堀江弁護士、ご馳走様でした!!(え~っと、肝心のスイーツ写真は取り忘れ…)

今まで数回、堀江弁護士から憲法のお話をしていただいていますが、回数を重ねるごとに面白くなっています!(色々とツールも増えてます!)

今回は、憲法とヨーガの教えの中のアヒムサー(非暴力)を軸に、憲法でどのように個人の尊重が守られているのか、また自分自身で自分を大切にするとはどういうことなのか…
。そんなことについて考える会でした。

私たちは、幸福を追求することがあまりに当たり前だと思っていますが、国が違えば全く違います。こうしたことが当たり前なのは、憲法で守ってもらっているから。(ちなみに戦前の憲法では内容によっては頭の中で思う事も許されなかった項目もあったようです)

今の日本の憲法では、憲法を守る義務があるのは国会議員、大臣、天皇、摂政、裁判官、公務員です。私たち国民が守るのは法律。実は私たち国民は憲法によって国家権力という大きな力から守られているというわけです。←これ意外と知らない。

憲法については様々な考えや問題もあるのでしょうが、個人の尊重を守ったうえで、公共の福祉という点で他者の尊重を守り調整されてる事が明文化されているというのは、私たちが生きていく上で重要な事だなと改めて思いました。

憲法が私たちを守る国の枠組みだとすれは、ヨーガの教えは自分自身を守る枠組みです。ヨーガには8つの段階があり、その一番最初に来るのがヤーマ(日常で行ってはいけないこと)、二番目がニヤーマ(日常生活で実践した方がいいこと)です。それぞれ5ずつ、計10項目の教えがあり、この教えは時代、宗教、文化を越えて共通のものと言われています。

またこれはその順番も大切です。つまり一番最初の項目が一番大切で重要だということです。8つの段階のいちばん最初がヤーマ、その一番最初の項目が非暴力(アヒムサー)です。

非暴力は身(行動)、口(言葉)、意(思考)のレベルにおいて、自分、他者、自分と他者の間に向けて気をつけるべき事柄です。特に「意」については気をつける必要があります。

非暴力というと、肉体的な痛めつけや、殺人等がすぐに思い浮かびますが、これは目立つ例で実際はもっと小さなレベルでの暴力が現実にはあります。例えば、自分を卑下してしまう言葉を使ってしまったり、身体の声を無視して無理をし続けたり、または自分を追い詰めすぎてしまったり、そういったことも非暴力に反します。

みなさんの日常生活の中でどうでしょう?

大きなことではないのです。ほんの少し自分の行動や言葉、考えに意識を向けることはできます。こうした小さなステップの積み重ねが、結果的に自分を大切にすることに繋がっていきます。

これは単に道徳的な生き方をしましょうと言っているのではありません。なぜなら生きていく中で完璧な非暴力でいることはできないからです。にもかかわらず一番大切な事だと先人たちは教えてくれています。

なぜかといえば、非暴力でいることが、ほんの小さな一歩であろうとその一歩が、自分自身、他者、環境との関係を尊重する土台となるからです。

今回、堀江弁護士が日本の憲法にはまだまだポテンシャルがあるということをおっしゃていました。おそらくそのポテンシャルを引き出せるのは私たち一人ひとりの在り方にかかっているんだろうなぁなんて思います。

わたしも非暴力に反してしまう時はあります。それでも、この非暴力は意識し続けていこうと思っています。みなさんも、まずは自分自身に少し非暴力の目を向けてみませんか?







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